top of page
プロフィール 
Profile

Yuriko Petrovna Kumana  

 

阿南 百合子

くまな      ゆりこ
​ペテロヴナ

いもん はんじ(2025年2月~)

黎明運動国内代表(2023年3月~)

元実検朗主裁(2024年7月の設立~同年11月の終了まで)

元越励学院事務局長(2021年3月の設立~2024年7月の終了まで)

元全民党事務局長(2010年5月の設立~2016年8月の休止まで)

古代神道研究者(國學院大學神道文化学部を後にした2010年春~)

・2009年からの14年間、父阿南巌に政治及び子育分野を中心に特別訓練を受ける。
・2023年2月  各種文書の執筆や講説など、父の言葉発信の務めを受け継ぐ。

2007年~2023年2月 父のドイツ語の文書や口頭の日本語を基に、パンフレット等の各種活動文書の翻訳、及び2016年からの各種ウェブサイトの作成を担当し、事務局、カメラでの撮影や映像編集を兼任。

・2013年〜 父に法を学びながら、連名で提起した数十件の本人訴訟における裁判文書の作成を担当

・2023年2月~  各種ウェブサイトや記事の文章作成・デザインを担当。

​​

                         

 1988年(昭和63年)4月11日 ロシアの皇帝に仕え非武力を芯とした外交官の曾孫であり元スイス改革派の組織作りをしない牧師兼教育者の父阿南巌(くまな いわお)とスイスの教諭であった母の長女(8男2女の6番目)として、千葉県君津市で誕生。

 古代イスラエルにて裁判官の務めを果たした女性のように、裁判官の働きをする人になるようにとの祈りをもって両親は私にその女性裁判官の名前を付けた。

 子どもや若い世代のために尽力する両親の愛を受けながら育つ。長年の教育活動を通して両親の評判は良く、「さんび学院国際学校」の設立事業もますます成長していった

 2000年(平成12年) 母を病で亡くす。11歳から父子家庭で育つ。

 2002年 父子10人で日本に帰化。平家とのご縁により、平元(へいげん)姓となる。

 また、名前の意味を保つべく父の名ペテロは巌に、ミツバチの意味を持つ私の名は百合子に変わった。

(数年後からの約10年間、厳しいやり取りと十二分の根拠をもって父は息子らを一人ずつ勘当し、絶縁した。その長年の苦しみをそばで見た私は、父と進むことを選び、同様にその7人の兄弟と絶縁した。)

 2007年4月 國學院大學神道文化学部神道文化学科に進学。日本の歴史起源を発掘するために古代神道研究者を目指す。

 2009年1月 「透明で勇敢な民主主義の実現」を掲げる草の根憂国運動「上昇風」を開始した父のもと、文章の翻訳と事務を担当するかたちで大学生活と活動を両立

 父の下での特別教育及び訓練が始まる(20歳)。

 2010年5月 國學院大學神道文化学部神道文化学科で要卒単位を取得後、父の右腕として父子で政治団体「全民党」を沖縄にて設立。なお、訓練のために父は私を会長に指名した。そして、顧問として団体を統率する父を先頭に全民党は、透明で勇敢な民主主義の実現を目標に、対等な日米関係やアメリカ軍基地の3年以内の閉鎖及び撤廃、そして、カルト組織に対する著しい課税などを公約として発表した

 2010年6月 大学内で共産主義者の不正を受け、卒業を待たずに、全民党の顧問として同年夏の参議院議員選挙への出馬を目指す父を支え、新設した那覇市の事務所を担当する。

 2010年秋 全民党の拠点を上昇風活動拠点である千葉県富津市前久保287番地1に移す。そして、活動範囲を全国に拡大の上、本拠地の異動届等を選挙管理員会と総務省に出す。

 2012年10月 全民党の責任者親子として、数人の協力者とともに、有楽町にある旧GHQを囲む緑提灯無言行進を開始し、翌年1月末まで毎週実施。そしてその際、マッカーサーやGHQの職員らが秘密結社の上級会員であったことを暴いた父のその研究成果等を記した「ほさきマニュアル」を国民に配布。

 この無言行進及び冊子配布をもって全民党は、議定書ユダらと秘密結社を先頭にカルト組織が同年の暮れに目指していた NEW WORLD ORDER(世界統一陰謀/実態は議定書に記されている「世界革命」)に全面的に立ち向かった。

 2013年5月 某在日朝鮮企業との法的戦いが始まる。親子で力を合わせ、本人訴訟の形で戦う。

 2013年晩夏 全民党の基礎も固まった頃、役職異動を実施。会長に父が就任し、私は事務局長となる。同じ頃、全民党は言葉の発信をもって、特定秘密保護法案とそれを強行採決しようとする時の内閣に立ち向かい、活発に活動を続けた。

 2013年11月上旬 某在日朝鮮企業が法的戦いから逃げようとしたため、法的な一手をもってその行く手を阻み、出方を待った。 

 2013年11月21日 全民党会長としての父が還暦を迎えた二日後、及び、特定秘密保護法案に対する反対集会の開催が全国的に予定されていたその日の朝、千葉県警察や木更津簡易裁判所等のカルト会員らがでっ上げた一件により、教育者としての父が公衆の面前で違法逮捕される事件が発生。同日、父に対する勾留決定を違法に発付したその統一カルト(旧統一教会)会員は、接見禁止をも違法に付けた。3週間後、父の文章を翻訳したとの理由で事務局長の私まで違法逮捕勾留され、高校生の二女(妹)と三人で生活していた父子家庭に対するカルト組織の抹殺機が著しく動く。

 12年後の現在も解決していない「世紀の一件」(弾圧及び迫害事件)の始まり(越励学院公式ウェブサイト内の「世紀の一件 はじめの把握」と告訴状に詳述)。

 2014年1月 統一カルトのプリンスと呼ばれていた者が総理として時の法務大臣谷垣禎一に指図を出し、法務大臣は千葉刑務所の責任者に口頭で父の投獄を命じた。これにより、1月23日に父は裁判も判決もなく、君津警察の車両で千葉刑務所に移送され、投獄された。

 2014年2月12日 3週間の極寒拷問をも受け、奇跡的に生還することができた父に、この日、務所上がりの焼印が押された。そして同じ日、私にも前科者の焼印が押され、共に濡れ衣による苦しみが始まった。

 2016年 2014年からの2年間、国家賠償請求訴訟等を通して汚名をすすぐべく、父と一緒に本人訴訟の形で戦い続けた。しかし、50件以上の訴訟は全て、裁判所によって違法に潰され、最高裁判所に至るまで司法が骨まで腐敗していることを物的証拠とともに確認し、掴んだ。

 2016年2月 2014年1月の投獄が憲法に著しく反した違憲投獄事件であること、及び、同事件に警察組織、裁判所、検察庁、千葉刑務所、内閣の全ての組織が関与し共犯者となっていることを同月に入手した4種類目の公文書をもって完璧に立証することができるようになった。

 2016年3月 父子三人の自宅を含む上昇風及び全民党の活動拠点を条件付きで売却することが決まり、同月下旬、契約が交わされる。

 2016年4月8日 全民党会長親子として妹との三人で、父が英文で執筆した申請文書と100頁以上に及ぶ証拠資料をもって在日ロシア大使館にて政治亡命を申請。

 2016年7月 同4種類の公文書をもとに、ウェブサイト「仇討嘆願」を執筆。同月、全民党としてその内容を内閣に送付の上、同ウェブサイトを8月1日に公開することを予告した。数日後、時の法務大臣谷垣禎一はいわゆる自転車事故で夜逃げを始めた(no.32)

 2016年8月1日 真実の言葉をもって仇らを討つことができるための仇討の場を私と妹に与えるよう求める内容の文書「仇討嘆願」を予告通りウェブサイトとして公開。そして、そのような場を設けるよう、時の東京都知事に対し書面で求めた。

 2016年8月 人権団体やメディアなどいかなる機関も返答をせず、司法の腐敗と止まらない弾圧により全民党は活動休止に追い込まれる。

 2016年11月 父と共に譲位のご意向と陛下暗殺史実隠蔽者による新たな謀反と題するウェブサイトを執筆公開。

 2017年8月 富津市前久保287番地1にある父の家から違法に追われ、父子3人で電気ガス水道のないリフォーム途中の父名義の建物に避難する。

 2017年11月 帰化の時からの本籍地であり、牧師としての父が1995年に2階を増築の上、長年活動拠点とした父名義のその土地建物(富津市富津2401-182)が千葉地方裁判所の違法決定により突如競売にかけられる。これにより、最後の砦をも追われ、同月下旬より数ヶ月間、父と妹の三人で車中泊生活を余儀なくされる。

 2018年1月 父と連名で世紀の一件の主犯格、すなわち時の総理とその共犯者らを警視庁本庁にて刑事告訴する。しかし、警察組織内の統一カルト会員らによって告訴は蹴られ、法を遵守しない公的機関の腐敗実態により、社会復帰が不可能であることを痛感する。

 2018年3月 生活を一から立て直すために父子3人で関東を去り、九州に移住。

 2019年11月 岡藩が数百年にわたり平和を築いたこと、及び、その藩主家である中川家がキリシタンであったという貴重な歴史を知り、大きく励まされ、その城下町である大分県竹田市で借りるようになった駅から5分の所にある住まいを「開戦阻止」活動の拠点に据え、看板を出す。

 2020年5月 熊本県阿蘇郡の平家が父を迎え入れたことに伴い、父の姓が「阿南」姓に変わる。後日、裁判所の所定の手続きを経て私と妹も阿南(くまな)姓となる。

 2021年3月 教育活動実績40年の父阿南巌を院長に、熊本県阿蘇郡小国町の自宅を本拠地に教育機関「越励学院」(えつらいがくいん)を設立。私は同事務局長となる。なお、学院の法人登録は父の汚名をすすいでから行うことを決定。

 2021年11月 熊本県警察の助言を受け、世紀の一件の犯人ら10人を刑事告訴するために父子3人で上京。

 2021年12月21日 父が越励学院の院長として首相官邸真向かいの路上にて約3時間にわたる歴史的な終焉宣言を行い、76年間のアメリカによる日本鷲づかみ時代が終わった。(私は事務局長として共に立ち、撮影)。

 2022年2月5日 父を代表者に非暴力非武力を芯とする独立運動である「黎明運動」(れいめいうんどう)を越励学院として開始。同日、アメリカ並びに在日朝鮮人の不正支配からの独立を果たすための日本の純粋な独立運動が始動したことを関係機関にも周知。

 2022年5月23日 父が虎ノ門、赤坂、六本木の路上にて高らかに行った黎明宣言により、黎明運動は国内外で認識され、越励学院の教育活動「黎明と解洗脳」と同時に力強く歩みを刻む。

 2023年1月15日 越励学院として旧GHQを囲む「'SQUARE UP' WALKS」(決算講義行進)を開始。毎週日曜日と水曜日に院長が教育者兼独立運動の代表者として、そして、いもん けんじ として世界に対し主に英語で訴え発信した内容を撮影及び編集公開。

 2023年2月 病気も外傷もなく、父が一度他界する。父の意志を継ぎ、日本での活動継続を任される。そして、先生の特別なご計画により、父と二手に分かれたことを理解する。

 2023年3月 父と母がこの月の9日にアジアの某国にて実際に復活したというものすごい奇跡のお知らせを受ける。これを受け、両親が実際に復活したこと、並びに、両親の復活とともに真新しい時代である黎明時代が到来したことを越励学院として国内外に発表。

 2023年3月 越励学院の全責任を任され、越励学院事務局長として黎明運動の国内代表となる。

 2023年6月~2024年1月末 官邸前での墓開遵行をはじめとする全88の路上講説を千代田区、港区、中央区、渋谷区の四区にて実施。その多岐にわたる内容の公開動画は813本(ほとんどはノーカット)にのぼる。

 2023年10月 カルト根絶の天命を受ける。

 2024年4月 「小さな黒板 - 主権から私見まで、毎日の発信 -」を開始し、6月上旬まで全40の記事を執筆公開。

 2024年4月27日 芸術家と慈善家でいらっしゃる偉大な音楽家と作曲家と詩人林佳樹様宛にお見舞いの記事を発表。

 2024年7月10日 40ヶ月に及ぶ越励学院の活動が完了。事務局長としての最後の文書「エピローグ」を執筆公開。

 2024年7月12日 実検朗の主裁に就任。

 2024年10月19日 一度も機能しなかった民主主義を廃し、揃った法的根拠を基に王政に戻ることを黎明運動国内代表として発表。

 2024年10月21日 カルト根絶の任務が国際規模に拡大される。

 2024年11月6日 実検朗の活動が終了。「エピローグ」にて、国外での亡命政権の発足を呼びかける。

 2025年2月1日  世界初の いもん はんじ となる。

 2025年2月16日 YAHYOI講説を和田倉門跡地にて開始。

 2025年3月2日 アメリカによる80年の長きにわたる不正占領が終わったことを確信の上、その重大な内容を皇居前広場にて発表。

 2025年3月5日 カルト組織による3度目の違法逮捕勾留事件が発生。

 2025年3月26日 不起訴となるが、医学界を含むカルトの者どもの著しい悪行により精神病院に移され、午後2時ごろ、毒薬オランザピン10mgの筋肉注射を通しての殺害計画が実行された。

 

 しかし、私は先生のお言葉を信じた。

 すなわち、「信じる人には、次の印が伴うようになる。彼らは私の名によって悪霊を追い出し、新しい言語で語り、蛇を持ち上げ、そして、死に至らしめる物を飲んだ場合、それは彼らに害を及ぼさない。」(マルコ伝16章18節前)である。

 ゆえに、その致死毒も、私に害を及ぼすことはできなかった。

 

 私は、深い感謝をもって一層、受けた務めを果たすために邁進する。

 2025年10月21日

 黎明運動国内代表

​ いもん はんじ 百合子

あゆみ
旧GHQを囲む決算講義行進にて語り叱責する越励学院の院長兼黎明運動の国際代表阿南巌(2023年1、2月)

4. The battle to set Japan free versus Lucifer worship.

79. If you think you can continue to oppress the Japanese people, I say NO!

父と私.JPG
Vater und Mutter.png
妹と一緒に.JPG
2023年10月  首相官邸前の墓開坂にて

 最後に、当ウェブサイトの公開にあたり、長期間のたゆまぬ努力をもってその作成に励んだ妹に心から感謝を表したい。

 妹は、父が越励学院を率いた頃に旗手を務め、パンフレットの配布や事務作業を担い、2023年2月16日からはカメラ及び各種ウェブサイトの作成を担当するようになり、猛暑日や極寒の冬日にも私の路上講説を撮影し続けた。そして、映像の公開前に発生したシステム問題や妨害にも対応し、800本を越える講説動画を越励学院の wixsite としてだけでなく youtube としても公開し、大きく尽力した。

 また、2023年8月11日の緊急告発を受けてからは、その内容がより大勢に届くようにと、同文字を掲載したリュックを何ヶ月も背負い(写真)、首都圏の地下鉄利用者等を対象に広く周知した。

 さらに、本年の春には、不正に拘束されていた私が書き送った手紙や文書を私の代わりに公開し、自らの言葉でも内容を発信し、大勢の人々に希望を届けた。

                                 妹阿南未里子のウェブサイトはこちら

父と私
10歳の春、さんび学院の庭にて妹を抱く
さんび学院国際学校の設立及び試運営の責任者を 10年以上務めた父と母(写真はその頃/安房)
bottom of page